teke teke my life 子育て編

teke teke my lifeの分室。子育てや教育に関する記録です。

子どもの成績に一喜一憂してしまうのは避けられないが、隠さないとなー

子どもをSAPIXに放り込んで日々SAPIXの教材に取り組ませている我が家ですが、妻は「中学受験なんかせんでもええやろ」派、ぼくも「中堅校※ぐらいまでに良けりゃいいか」派なので、そこまでがっつり取り組む気はなかったりはします。
※中堅校の定義も曖昧なのでアレですが、偏差値50以上ぐらいのゾーンを想定しています。

そういうスタンスの一方で、子どもの成績につい一喜一憂してしまうのは避けられておらず、毎回のテスト結果が良ければ喜んでしまうし、悪いと子どもを責めたくなる気持ちが湧いてきます。

その辺、どうにかしてぇなーというメモです。子どもは所詮子どもなので、自分とは切り離して見るものだと思いますが、なかなか上手く切り離せないですね。

最近やってしまっていること

やはり偏差値とクラスを気にしてしまう

「本人が出来る範囲で頑張っていれば結果はどうでもいい」とか口では言いながら、偏差値と塾のクラス分けを気にしてしまうんですよねー。
子どもの相対的な位置付けに特に意味はないものの、親としてはやはり他の子と比較してよくできていれば嬉しいし、そうでなければ焦るものです。

仕方がないことではありますが、頑張っているのは子どもであり、相対的に良くできていようが悪かろうが自分とは違う子どもの話として切り離して考えるべきなんですよね。

(まあ、部下の成長とか、そういうものに近い話でもあるのですが、それよりはもっと入れ込んでしまっている感じはあります)

一度上がった基準点から目線はなかなか下がらない

加えての問題として、一度良い点を取ってしまったりすると、基準点が引き上がって、従来「よく頑張ったね」の水準だったものも「もっと頑張らないとね」になっちゃったりするんですよね…。

特に、新小4になるとαクラスとかいう上位クラスが明確になるので、アルファベットオンリーのときと比較すると、αかそれ以外かみたいなところも目についてきます。
最初はまあ真ん中ぐらいにいてくれたら良いかな…とか思っていたはずなんですけどね。

子どもからすると、前は褒めてくれてたのになぁとなるはずなので、褒める基準が変わるのは避けた方が良いのですが、これもなかなか感情でのコントロールができないです。

対応や気持ちの置き方

勉強の目的は能力を伸ばすことであり、相対的な順位ではない

そもそも、中学受験は子どもの能力を伸ばすことが目的なんですよね。
結果として、その時点の能力が同じ程度の子どもが集まる、より適したカリキュラムの学校に入れるというだけで。

無理をする効用がないわけでは当然ないのですが、所詮は中高一貫校のどこに行くかだけであります。学歴という意味では、大学で上書きチャンスもありますし。

一喜一憂しちゃうのは仕方がないと割り切るか

まあ、結局偏差値みたいなわかりやすい指標があったりする中で、身内も身内が上下するところを見て、気持ちが動かされるのは仕方がないとことなんでしょうね。

と思うと、気持ちが動くことは仕方がないこととして、子どもに対する接し方をちゃんとコントロールするしかないのかもなーと感じます。

プロセスと決めた目標への達成度を基準にして褒めるか…

結果ではなく、過程を褒める。短期と長期の目標設定を明確ににして、期中にストレッチさせたりしない。…なんか仕事みたいになってきたな。

そういう意味では、最近はプロセスで何をやっているべきか、目標点をどこにおくかのすり合わせをあんまり子どもとやってなかった気がするので、どこかでやろうかなーと思います。